静岡銀の新システム障害多発(地銀戦略に影響)


日経新聞令和3年2月10日付け記事です。今年1月4日に稼動した静銀の次世代勘定系システムが稼動直後から振込関連やセブン銀ATM提携など5種類の不具合が相次ぎ、事態収拾まで3週間を要した。当該システムは2013年にプロジェクトを立ち上げ、二度の本番稼動延期と大幅な予算追加の上での稼動だった。障害の原因は、プログラム設定の誤りでテストでは影響を予測できなかったとしています。

以前から、本当に年末年始連休で全業務を稼動させるのかと懸念していました。もう延期とは言えないので、一部業務だけを稼動させて、次世代オンライン成功と発表するだろうと思っていたのです。1月4日に無事稼動とのニュースを見て、良かった良かったと思ったのですが、夕方に入るとメディア関係者から、次々と「障害が発生した。お前は原因をどう推測するか、もっと大きな障害につながる可能性はないか?」と電話やメールが入りだしたのです。

筆者は、「日立が担当したインフラやミドルのアプリケーション制御やファイル制御といった共通プログラムの問題ではなく、振替や振込みに関連する業務ロジック(恐らく銀行担当者が設計、開発)の問題のようなので修復は簡単でしょう。ただ、連発しているので、この開発チームが担当したサブシステムやモジュールでまだ障害が出るでしょうが、そんなに騒ぐような話ではない。全面更改ではよくある話ですよ」と答えました。

騒ぐ話ではないと言いましたが、静銀の営業店など現場では勘定が合わずに連日残業が続いて悲鳴があがっているとの話も聞きました。銀行は、テストでは予測できなかったとか、コーディングミスだとかメディアの取材に回答したそうですが、単純なコーディングミスとは思えず、テスト対象に関連業務ロジックが入っていなかったのは確かですので、要はこの開発チームが業務仕様詳細設計で漏らしたのでしょう。それでも、この程度は勘弁してあげてよと記者達には言っていました。

それが落ち着いてしばらくして、この記事です。何で今頃という感じです。それと、地銀戦略に影とはどういう意味なのか?そしたら、地銀の8割超が共同センター加入で、そのシステムが増改築を重ねて複雑化しており障害を起こしやすいとの記述です。腹の中で全銀システムみたいに触らなければトラブラナイよとつぶやきながら読むと次の記述で、これからの次世代勘定系はクラウド化になる。機動的なサービス開発には、システム刷新が欠かせない。静銀の障害を教訓として生かせるかが問われるときました。それが結論かい?メディアって気楽な商売だなと少し腹が立ってきます。何を教訓とし、その真の原因は何かなどの記述も考察も皆無です。

やはり、この記事の狙いは何なのかに関心が向きます。すると、別の記者複数から、金融庁が静銀に経営責任を問うとの噂があるが、静銀の障害は行政処分に相当するだろうかという質問が来ました。そんなことは知らないし、この程度でトップを辞めさせていたら、銀行なんてやっておれませんよ。と答えるのですが、妙にきな臭い。

同じ2月10日付の日経クロステックが、「三井住友銀が次期勘定系システム、目指すメガバンク初の24時間無停止オンライン」という記事を載せていました。SMBCが2025年までに500億円をかけて勘定系を刷新してDXインフラを24時間無停止で開発するという記事です。昨年11月に同行が発表した内容の繰り返しです。それに、そもそも24時間無停止といっても何年も勘定系障害を起こしていない銀行はゴロゴロあります。SMBCはツィンセンター化で24時間無停止を図るだけのことです。日経記事と日経クロステック記事の担当記者は違うようです。新聞本体の記者と日経BPの記者は、人事交流は頻繁ですが、共同取材をすることは殆どありません。新聞の記者には「IT関連記事を書く時は、日経BPでITの判る記者に確認してから書きなさい。」としばしば忠告するくらいです。素人記事に驚いた銀行経営者が右往左往する姿をしばしば目にするので、クオリティ・メディアには責任ある記事を書いてもらいたいのです。それでなくとも最近は芸能誌やSNSなど質に疑問のあるニュースが幅を効かせすぎです。それを読む我々の質が相当に劣化しているということなのか。どうも、万国共通の傾向に見えます。

この二つの記事のように、過ぎた話をNothing Newで大きく報道するのは何故なのでしょう?コロナ禍でネタ不足なのでしょうか?それとも、近いうちに衝撃的な動きを報道するので、その前裁きを狙ったものなのか?感染防止で直接取材が大きく制約されています。結果として、表層的な事象だけで、その裏や底にある因果を把握できなくなっています。それが、取材者や我々、受信者の質に大きく影響しつつあります。メディアの読み方には、今まで以上に注意が必要だと思っています。

 

                         (令和3年2月11日 島田 直貴)