「富める者」襲う恐怖


日経新聞令和2年12月21日付記事です。同紙特集の「パクスなき世界 大断層1」です。一面トップの大きな記事だったのでご覧になった方も多いと思います。金融ITに直接係わる内容ではないのですが、しばしば、「ポスト・コロナの社会、経済、金融はどうなるだろうか?」と問われます。皆様にも関心の高いテーマかと思います。ドラッカー曰く、「我々は未来について二つのことしか知らない。未来は知りえない。未来は今とは異なるし、今、予想するものとも違う。」何とも見切った言葉ですが、結局はこういうことなのでしょう。さりながら、いろいろと言われることを見ると、コロナが契機で始まった流れというよりは、以前から疑問視され、見直しが必要だとされてきたことが、コロナで一挙に顕在化したということなのでしょう。例えば、グローバル化の功罪、資本主義の限界、西欧キリスト教的価値観への反発などなどです。こうした懸念というか疑念が直撃するのが金融業です。そこにIT化というかDX化という大きな潮が流れ込むと、ほぼ一律だった市場が分断、分極化することになります。最終的には、金融ビジネスに大きな影響を与え、IT基本戦略も変わらざるをえません。こう考えると、この日経記事は大きな示唆を含んでいると感じた次第です。

記事の骨子は、コロナ下の金融情勢を受けて、経済的格差が大幅に広がった。保有資産10億ドル以上の超富裕層2千人の資産が200兆円増え、飢える人々6億9千万がコロナで1億3千万人増える恐れがある。こうした経済の二極化は、特権階級に対する畏怖ではなく、憎悪をもたらす。それに気づいている米国の富裕者約100人が、「私たちに増税しろ。今すぐに、大幅に、恒久的に」と声明を発表したそうです。大衆からのしっぺ返しに対する不安というよりは、恐怖だということです。米国のイエレン次期財務長官は、何もしなければ更なる荒廃を招くと警告しているそうです。次期政権はこうした構造変化に気付いているということです。

従来の金融ビジネス戦略からすると、今は、富裕層に的を絞るべきです。平均以下収入層が富裕層になる確率と時間を待っていては、銀行が先に消えてしまうのですから。しかし、この選択は一部の銀行を除けば、生き残りを保証する戦略ではなさそうです。いろいろなことが、構造的に変化している。それを追求してみようとの動きはわが政府に見えない。問題提起や解決案を提示する学者も殆どいない。日本人の多くがドメスティックな情報と思考方法だからなのか?米国のように大きな視点で長期に見渡すリーダーが出てこない。ドラッカーが生きていてくれたらと心底思うのですが、それは愚痴に過ぎない。今、言えることは、経済二極化の先端を走る米国と中国を良く見ておくことです。日本より先に、様々な現象が具現化する筈です。

日経記事では、ビジネスの世界で超富裕層に相当するのがGAFAMなど巨大テック企業と書いています。確かにデータや知的資産を牛耳る企業の一人勝ち、勝者総取りが、果たして健全なのかという疑問を持つ人は多い。中国でもアリババやテンセントに対する政府の懸念が強まっている。欧米ではGAFAMに対する独禁法によるチェックが強まっており、それを支持する人が増えている。

筆者が数年前から疑問に感じていることがあります。わが国の20、30歳代における保守的傾向が強まっていることです。政党支持にも現れているのですが、この層には自民党など保守政党の支持者が圧倒的に多い。革新系政党を支持する人は、6、70代に多い。一人当たり所得が3万ドルを超えると、国民の価値観が大きく変わって、それまでの物的金銭的欲求が減少し、社会参加や貢献への欲求が増すからなのか?しかし、この20数年の間、若い人の得る所得は殆ど増えていない。しかるに不満が顕在化していない。何故か?団塊世代は、若い年代こそ変革を求める筈だと考えるのですが、実体は逆なのです。この傾向は社会学者の間でも関心を集めているようで、多くの学者が調査しては論文を出しています。

10月、現代ビジネスのサイトに、御田寺圭さんという文筆家が載せた寄稿を読みました。思わず、唸りながら、かなり納得できる仮説を唱えていました。骨子を紹介します。

彼らが現状維持を求める理由は、自分のことは自分でやるから放っておいて欲しい。自分達が必至に頑張っているのに、かき乱すなということだと言うのです。ノンポリや保守政党支持というよりは、自分達の努力の邪魔をするなということ。イデオロギーを使って現状を否定するのは、生活に余裕のあるエリートのやること。自分達とは住む世界が違う。それよりも、「自分達はゼロ、マイナスから巻き返して、自分の街に恩返しする。夢を見せられるなら貧乏も歌う・・・・・。次に繋ぐのが俺達の役目。」(BADHOPのHood Gospeiの歌詞抜粋)が彼等の価値感を象徴しているとします。社会学からすると、相反する新自由主義的な自己責任・自力救済とマイクロ共同体主義的な世界観を合わせもっているというのです。

フィンテック・ブームの頃、筆者も若い人達と接触する機会が多くありました。金融に望む機能を問いますと「儲けよりも夢だ」というのです。例えば、「株取引で収益性やリスク云々よりも、夢のあるビジネスであれば、余裕資金を投資する。利回りだけの投資には関心がない。」という意見が多かった。残された人生の時間が多いということは、こういうことかと羨ましく思ったものです。一緒に夢を追う金融サービスとは?大きな命題であります。

とすると、金融機関のリテール戦略は大きく見直す必要が出てくる。当面は富裕層、すなわち、高齢者層

ビジネスで事業を維持しながら、若年層の個人、または、集団としての願望を支援することこそが、サステナブル経営になるのではないか?そこに喰い逃げ人生を潔しとしない考えを持つ高齢者の資金と経験・知恵を組み合わせることができればと思う。DX戦略としてスマホ・サービスやキャッシュレスを促進することに本来的意味があるのか?ただのコモディティではないか?

金融機関の従業員の多くは、受験偏差値で言えば日本全体の上位10%に相当するエリートです。日経記事に従うと、大衆からしっぺ返しを受ける立場のエリート層です。地域創生を上から目線ではなく、90%の人達と共通の目標に向かって共同作業する中から金融サービス戦略が生まれてくるのではないか?その仲間集めや共同作業にITを使うべきでしょう。金融DXを従業員や店舗の削減に使って、ITベンダーの収益増に終わらせてはいけません。金融庁は、地域商社など高度化会社制度を拡充することで、地域とそこの金融機関が活性化できるように規制緩和を進めつつあります。まずは、金融機関の内部で、若い行員達が、地域の人達とマイクロ共同体を立ち上げ、それを経営陣が強力にサポートすることを期待しています。それが、ポスト・コロナの金融サービス戦略ではないでしょうか。

 

                            (令和2年12月28日 島田 直貴)