地銀マンの給与はバス運転手と同じになる

プレジデント・オンラインの令和元年5月14日トップ記事です。誰が書いているのか思えば、経済ジャーナリストの磯山さんという方でした。比較の対象が何故、地銀とバス運転手なのか、両者の給与を比較したものか思ったら、そうではなく、6月5日に発表された未来投資戦略2019で地方経済のインフラ強化策として地方銀行と路線バス会社の合併等を通じた経営強化を支援する施策に関連した内容でした。編集者が読者受けするようにつけた表題かと推察します。金融審議会WGの中間報告を受けて年金100年安心はウソだという騒ぎと同じです。

最近、地銀の新たなビジネスモデルはどんなものが考えられるか、地銀の経営戦略はどうあるべきか?などといった質問や講演依頼を受けることが増えています。依頼者は地銀ではないのですが、意図を聞いてみると、本心では地銀が危ないと思ってはいない。最後は国が助けるだろうと思っている。地銀が危ないと言えば、皆が喜ぶと思っている。しかし、地銀の人達は、自分で何とかしようと思っている。問題は打開策を出しても顧客が協力してくれる可能性が低いということ。個人も中小企業も、地元の殿様である地銀が破綻するなどと思ってはいない。銀行も当行は危ないから、この新しい施策に協力してくれとは言えない。

日本は銀行が多すぎるという意見が根強い。何故、オバーバンキングだと思うの?と聞くと根拠は持っていない。でも、店舗を減らそうとすると大反対する。矛盾に満ちたお客でも切り捨てられないのが銀行です。

人口やGDP比率から見てわが国は、銀行数も支店数も多くはない。問題は、収益性が下がる一方の間接金融の比率が高いことにある。わが国銀行の融資総額はほぼGDP同等で他の先進国の2倍以上である。日本に次いで高いドイツは6割強だが、銀行の経営が行き詰まっている。間接金融の需要はデジタル化に伴って急減する。情報の非対称がIT化で縮小するので、避けられない流れです。これは30年も前から判っていたことです。

ドイチェバンクとコメルツの合併案が出たが頓挫した。筆者は、この種の合併を「肺がんと胃がんが合併したら、死期を早めるだけだ。」と誠に不穏当な比喩をしている。合併にシナジーや戦略性強化が期待できない場合、一時的な経費削減にしかならないからです。その際に優秀な人材から流出する。それが更に収益力を落とす。野村はリーマンを買ったが、居残った人材のコストが大きな足枷となり続けている。

未来投資会議2019では、地域インフラとしての金融と路線バスを、機能として地域に残すために、柔軟に合併等を支援するとしています。かつて、大きな地銀が経営危機に陥った際、その県の経済が一挙に停滞しました。特に外部進出が難しい地域サービス業の苦境は酷いものでした。金融は、「あんしん、あんぜん」よりも安定・継続の方が重要だと思ったものです。合併等は、規模を拡大することを通じて、重複コストを削りながら、新たなビジネスの資源を確保する機会になります。裏返すと、新たな事業機会に戦略的に対応しないと、単なる時間稼ぎに終わります。人減らし、経費削減で縮小減退しながら、衰弱死する前の金利高という神風を待つしかない。しかし、神風には一時的な効果しかない。

地域金融機関の経営戦略を語る際、少子高齢化、大都市圏への人口移動、地方経済の衰退、ITを使った新規参入者との競合などを環境要因として、新しい収益源の必要性が叫ばれます。それはそうなのですが、もっと少し広く環境整理をしないと、地銀の変革を促進する為の戦略は見えてこないと思います。金利は景気循環で上がり下がりする時代ではなくなり、新興国の人口増が続く限りは、物価が大きく上がることはない。つまり、金利高を期待しても実現性は低い。仮に上がっても資金流入の方が大きく、預金という不良在庫が増えるだけです。手数料収入といっても、決済は薄利多売化して利益は出ず、AMLなど規制コストは上昇し続ける。決済データの利活用といっても、儲かるのは決済事業者ではなく、ITベンダーと電力会社だけ。投信や保険の窓販は、フィデューシャリ・デューティという規制で販売コストも保全コストも上がる一方です。規制コストを逃れる戦略が重要となっている。

地方では、サービス産業化が更に進むが、観光業だけで賄えるのか?サービス業の成功には、人口集積が前提にある。人口密度や文化施設がなくとも、技術で集積効果を上げる方法はないか?それはxRだなどと言う気はありません。ARやVRを長時間使ったら疲れ果てるからです。慣れ親しんだ自分の地域や家にいながら、望むサービスを享受できないか。こうしたことをあらゆる面で議論し、シミュレーションし、それに銀行がどう参画できるのか。それが規制でできないのであれば、規制を変える努力をするのか?こういう姿勢を行政は待っているのですが、銀行は規制緩和をしろと言うだけで、何をしたいのかは考えていない。

これは子供の宿題と同じで、本音はやりたくないだけで、やらない理由を他人のせいにしているというのが、磯山氏の主張です。それでも政府が地方銀行を残すとすれば、銀行員の人数も給与水準も維持することは不可能で、路線バス会社と同等の労働価値だと言うのです。こうしたら良いというアイデアは提示されてない。それは筆者も同じで、世間話で何か良い方法はないかと聞かれると、「それがあるなら、銀行に教えずに自分で商売しますよ」と誤魔化しています。

行政も似たようなもので、具体的にどうしろと言うのだと問われると、「個々の銀行によって環境も顧客層も戦略も異なるから、それは自分でお考えなさい。」となる。当然なのですが、言い訳めいて聞こえます。そこでスルガ銀や西部信金のように業績の上がる金融機関をベストプラクティスとした。ビジネスモデルを変えていた訳ではなく、販売商品、販売先、販売方法を絞り込んで戦力を集中しただけです。一種の狩猟経済ですから、いずれは行き詰まる。狩猟で生きる為には、一か所に定着することは不可能です。地域金融機関の持続可能なビジネスモデルは、農耕型が柱であり続けるでしょう。それとも、デジタライゼーションでデータ利活用を実現すれば、一か所定着の狩猟型経営が可能になるのか?

筆者が言いたいのは、今の銀行業務を前提にアンバンドル・リバンドルしても何も新しい地域金融機関のビジネスモデルは出てこない。地域のあらゆる課題と強み弱みを考慮して、どんな地域を作りたいのか、その為に必要な具体策は何か、その策に銀行が参加支援できる機能は何かを網羅的に抽出し、実現可能性などで優先付けする。それをネオバンクの立場で実行する為に資源、人などを配置する。このネオバンク・サービス提供主体に銀行員を投入すると、銀行本体の人員は減る一方となり、業務を取捨選択整理再編せざるをえず、最終的にはコアバンキング機能だけとなる。気がつくと、それはチャレンジャ−・バンクと同じではないか。ネオバンク、チャレンジャーバンクは新規参入者の形態ではなく、地銀の将来像なのかも知れない。

今の銀行を箱として残すのか、地域経済活性化のエンジンとして組織的にアンバンドルしながら、機能的にインフラ・プラットフォーム化させるのかのポイントのようです。QR決済でキャッシュレス化だとか、AIで自動与信だとかは地銀が頭を悩ますようなテーマではないと思うのですが。

 

                               (令和元年5月17日 島田 直貴)