ワトソンの無償提供とクラウドビジネス

日経新聞の平成29年10月27日付の記事です。米IBMが11月からワトソンの無料提供を開始するとのことです。提供するサービスは、会話、翻訳、文章からの性格分析、対話からの意思決定支援、文章からの感情や社交性の判断など6つの基本機能です。ワトソンの採用には最低で数百万円かかるのが無料となる為、中小企業や個人などが利用しやすくなるとしています。IBMとしては利用者を増やして、新しいサービスや使い方を開発することが目的だそうです。ただし、音声自動認識や画像認識などは有料のままです。

この記事は、IBMのOBとしての筆者には、大きな驚きです。筆者の30年に渡るIBM生活で一番の障害は価格戦略でしたから。値引きは一切認めない、値付けの段階であらゆるコストを価格に反映した上で、日系ベンダーでは想像もできない利益率を乗せる。他社より3割以下の高価格で受注に敗れれば、それは営業の責任という時代が長かったのです。最後の10年程の間に、流石にこんな価格政策では競争に敗れるだけだとなって、大量発注やアウトソーシング等では値付けに柔軟性が出てきましたが、それでも日系ベンダーの営業マンには信じられないほど、お堅い値付け方式でした。

それを無償提供とはどういうことか?理由は、クラウド・ビジネスでの競争条件が従来とは大きく変ったということと、クラウド抜きではIT産業で生き残れないということがあるのでしょう。メディアはクラウド=パブリック・クラウド=IaaSと短絡的に考えており、そのように記事にします。しかし、クラウド市場の3分の2以上はプライベートクラウドです。日系ベンダーは、パブリックでは米系に太刀打ちできないとして、プライベートに注力していますし、その時に米系クラウドを再販売することに全く抵抗しません。

しかし、マイクロソフトやグーグル、IBM、オラクルなどフルラインのクラウド・ビジネスを展開する企業にとっては、セールスフォースやVMwareのようにAWSの上に自社のPaaSやSaaSを乗せる戦略では、AWSを抜くことはできません。ではどうすれば良いかと考えると、今後のパブリック・クラウドの勝負は、PaaSとSaaSにあるという結論が出てきます。オラクルの例でいえば、IaaSの利益率は43%ですが、SaaSは65%前後だそうです。他社も余り変わらないでしょう。つまり、IaaSで売上がAWSの3分の2であっても、SaaSで頑張れば利益で勝てる。AWSはインフラと運用に強く、規模のメリットでも今は到底太刀打ちできないが、やがて技術革新などでインフラで使う技術が変われば、いつかは逆転する機会がある。その時に、アプリケーションを抑えておけば、お客は離れないということです。

AWSも当然、こうしたことを考えています。ですから、急速にPaaSとSaaSに力を入れ出しています。しかしながら、IaaSとSaaSのビジネス戦略は大きく異なるので、思うように進展していない。そこで、今現在はPaaSにおける競合が熾烈化しているということです。AIのプラットフォームやIoTのプラットフォームが代表的な分野です。金融でいえば、生体認証、本人確認、口座開設、APIなどなどに大手クラウド・ベンダーが、金融機関と提携して参入してくることでしょう。ブロックチェーンやRPAのPaaSも出てくるでしょう。

FISCが来年の春には、安全対策基準の全面改訂版を発表予定です。金融庁も金融業界にとってクラウドの有効性が高いと認識していますので、金融界ではクラウド利用が一挙に進むと思われます。ただ、注意すべきは、メインフレームによる基幹系のクラウド化にはまだ早いですから、周辺システムが対象となります。その周辺システムですが、IaaSに移行するのは、期待するほど簡単ではありません。クラウドSIerと呼ばれるベンダーに委託することになります。IT支出の3割未満に下がったハードをIaaSで少し下げたとしても、運用コストは変わりませんし、一時的とはいえ大きな移行費用が必要です。騒がれるほど、周辺システムのクラウド化は急速には進まないでしょう。更改時期に合わせた長期的な展開となる筈です。

新規業務でのPaaSは採用し易い。ただし、大手PaaS業者はそれぞれ得意な分野を持ちますので、ユーザーである金融機関はマルチクラウド化とならざるを得ません。自社にクラウドに関する技術がなければ、これもクラウドSIerに依存することになります。複数のPaaSとそれぞれのSIerと付き合うことになります。その結果、金融機関としては、マルチベンダーにロックインされることになります。今よりも悲惨なことになるでしょう。

では、どうすべきか。各社のクラウドに関わる技術を持った人材を内部に育成・保持するしかありません。AIやRPAを活用して社員数を大幅に削減するという大手銀行の計画が相次いで発表されています。しかし、自動化して社員を減らすだけでは、最終的に自社の存在基盤を傷つけるだけとなります。また、今までバックオフィスで働いていた人達を、多少の再教育をしたからと言って、顧客接点に廻せるとは思えません。お客さんはそんなに甘くはありません。その歩留まりは相当に低いと思われます。とすると、外部との間で働く人の入れ替えを進めざるを得ませんが、その為には、働きたいと思われるような企業に変わる必要があります。その時に、金融機関行職員には、専門職ではないとしても、ITに関するスキルが必要になる筈です。

 

合理化をして勤務時間に余裕が出た結果、資格を取得する人が増えたとする金融機関があります。税理士資格や中小企業診断士などです。それも良いのですが、自分でアプリを作って、他者が簡単に保守できるような仕組みに乗せることのできる人が必要になります。今のExcelのように、BIやAIなどを使いこなせるスキルを身につけることが必要でしょう。10年、20年後であれば、自動車の運展免許以上に必要なスキルになっているかも知れません。金融機関としては、GEのように全社員IT技術者化を目指すという戦略があっても良いように思います。

                   (平成29年10月30日 島田直貴)