Windows XP EOSと金融機関


WindowsXPのサポート期間が来年2014年4月9日(日本時間)で終了します。XPのEOS(End of Support)は、随分と前からわかっていたことですが、1年前となったこの4月から大手メディアが連日のように報道しています。もうPCが使えなくなるような印象を与える記事や、EOS後はセキュリティが無防備になるかのような記事もあります。中には、買い替えを強制するマイクロソフト(以下、MS)はけしからんといった論調の記事もあります。

面白い話を聞きました。頭取の質問「XPがサポートされなくなり、セキュリティが危ないというが、ウチは大丈夫か?」システム部長「はい、ウチは全部XPです。ですから、これからはWindows7など新しいPCに変える必要があるのですが、全部で5千台ありますので、2〜3年と10億以上の費用がかかります。」頭取「それまでは、どうするのだ?」部長「ウイルス・チェックやFWで守ります。」頭取「そんなもので守りきれるのか?」部長「ウチのXPはSP1のままで止めてありますので、以前からサポートされていません。ですから、来年4月のサポート切れはウチには影響ありません。」頭取「うん、そうか、それは良かった。」

この話は1行や2行の話ではありません。頭取を責めているのではありません。マスコミの論調に不公平さと不正確さを感じているだけです。以前、親しくしていた大手証券会社のトップとCIOはMSが大嫌いでした。自分の都合でドンドン新製品を出して、顧客のIT資産を陳腐化させる。このMSの罠から何とか抜けだしたいと言うのです。筆者もその影響を随分と受けました。

使えるものを使えなくさせるという事業戦略は、米国流「使い捨て」文化です。日本流の「もったいない」文化からすると、許し難いアンチ・エコなのであります。筆者は数年前までWindows95を私用に残していました。Web閲覧やExcel・Word程度でしたら、機能も処理速度も問題ありません。古すぎてVirusすら寄ってきません。(??) ところが、使いたい周辺機器やソフトが動きません。しかたなく、新しいPCを買いました。ハードはWindowsをつけても5万円程度でした。ところが、Officeやセキュリティ・ソフトをつけると、あっという間に10万を越えます。5百円の料理を食べるのに、1千円の皿代を払っている印象です。古いPCを廃品業者に引き取ってもらう段階で、また数千円取られて怒りはピークです。こうした費用は全てマイクロソフトの仕業によるものです。当然、同社の印象は悪くなります。本当はPCを買う時に判っていたことなのですが。

なんとかMSの罠から抜け出す方法はないか? そうだ、仮想化で逃れようと思うのが常識的です。ところが、そこにもまた、MSが立ちはだかります。VDA(仮想化デスクトップ・ライセンス)と称して、ここでも安からぬフィーが発生します。その結果、大変な手間暇かけても、ろくに安くならない。それどころか、MS社は何の苦労もなく、法人顧客からまとめてライセンス収入が得られる。こうなると、MS社だけではなく、知的財産権そのものが、不合理な存在に見えてきます。

1枚のCD-ROMに入ったソフトの方が、大きくて頑丈な機械よりも、はるかに高いということに違和感があるのは自然です。その原因が価値の差であることを頭では判るのですが、納得感が出てこないのです。このような感覚を持つ日本人は多いでしょう。ですから、メディアがXPのEOSに批判的記事を書くのは非難できないとも思います。MSは、多くの顧客がこうした感情を抱いていることを承知しています。しかし、何の引け目も感じていないようです。MS社のセキュリティ責任者が4月中旬のセミナーで「サポート終了後、XPを狙った攻撃が増える可能性がある。その理由は、SP2のサポート切れの際に、ウィルス感染率が上がった。SP3でも同じ傾向が見られる。」と発言しています。早く、XPを更改して欲しいという気持ちは判るのですが、聞きようによっては人質をとっての脅迫とも受け取れます。日本人との感覚の違いはどこから来るのか。

日本は物作りの国と言いますが、すでに第二次産業の就業者は、1550万人で全就業者の24.8%しかいません。70.2%6247万人が第三次産業で働いています。(平成22年度総務省調査) この差は今後も開くことが確実視されています。問題は三次産業の中味です。労働集約的なビジネスが大半であり、専門的かつ高度な技術・知識・経験を要するプロフェショナル・ビジネスが拡大しません。最たる例が法律家です。国が計画した年3000人の司法試験合格者どころか、過渡的目標数2000人で、需給関係が逆転してしまいました。供給を増やしたものの、需要が一向に増えなかったのです。司法制度改革は、抜本的な見直しが必要となりました。同じことが、会計士、医者、教師、コンサルなどでも発生しています。日本の特殊事情であり、グローバル化に合わせて考え方を変えろと叫んでも無意味でしょう。今のままで労働集約的なサービス産業化を進めていっても、やがてはロボットか移民か海外からの労働者によって、価格が引き下げられるだけです。

サービス産業化が進んだ米国ではプロフェショナル・サービスも普及しています。大変な収入を得る弁護士や医者もいますが、たいしたことない士族もたくさんいるそうです。供給が需要を少し上回っているのです。そこに競争原理が働いて、サービス・レベルの改善が続いています。日本の士族は、国が全員を食べさせようとするから、競争も革新も起きないのだと思います。MSの罠を抜けたいのであれば、MS互換のオフィス・ソフトを開発すれば良いだけのことです。我々が責めるべき相手はMSではなく、MSにただ寄生するだけのITベンダーとドミナント(無競争)に乗っていれば安心という我々顧客だということになります。

DaaSを提供するベンダーが増えています。MSの罠から抜け出す仕組みを組み込めば、大成功間違いなしです。そうなったとしても、10年もたてば、DaaS自体も置き換えの対象になるかもしれませんが。グローバル市場では、際限のない革新と競争が繰り返されます。それを利用するユーザーの知恵と度胸が、ガラパゴス化を防止するポイントです。キーワードは、バリュー・プライシングと競争+革新となります。

                                                   (島田 直貴)