IT関連訴訟 (みずほ証券の対東証訴訟が結審)


平成20年12月20日付朝日新聞です。誤発注取消し不能に関する、みずほ証券の対東証損害賠償請求訴訟が結審しました。一昨年10月の提訴以来、13回に渡る口頭弁論が行われましたが、双方の意見が対立したまま結審し、来年2月27日に判決ということになりました。

多くの人たちの見方としては、賠償額の透明性と客観性を目的とした訴訟であり、和解で決着するというものでしたが、過失相殺それも賠償額を少なくしようとする東証と、自らの落ち度分は自社で負担するが東証の債務不履行に起因する損害に関しては過失相殺の理由がないとするみずほ証券側の意見が対立したまま結審しました。

提訴前の両社の交渉では、東証が賠償を受け入れるとしましたが、金額が余りに少ないだけでなく根拠も曖昧でした。その内に賠償責任はないと態度を変えたので、みずほ証券が提訴しました。旧大蔵省直系の東証を民間証券会社が賠償額415億円の提訴ということで、業界関係者は驚きました。これまで、証券会社は額が小さいこともあり泣き寝入りしてきたそうです。みずほ証券が407億円の損失処理した上で提訴したのには、東証側対応が余りに理不尽という怒りと取引所運営の健全化という目的もあるのではないかと推測しています。

証券界以外の人は、発端がみずほ証券の誤発注なのだから半々ではないかと考えるでしょう。しかし、誤発注はどこの証券会社でも日常的に発生しており、気づくと即座に注文を訂正して、それまでの損失を自分で負担します。取引所システムでは、訂正取消処理を最優先することになっており、数秒以下で訂正されます。ジェイコム株誤発注の際も全く同様で、みずほ証券が取引所規定と操作マニュアル通りに取消処理したにも関わらず、取引所システムのバグで実行されなかったのです。このことは東証も認めており、金融庁から行政処分を受けて社長たちが引責辞任しています。ですから取消注文を東証が受け付けた後の損失は、東証が負担すべきという論理です。そもそもメディアの誤発注事件という表現は片手落ちです。取消不能事件という表現の方が正確です。

裁判の冒頭で東証はとんでもないことを言い出しました。

@     取引所は会員証券間の取引の場を提供する義務はあるが、個々の取引を実行する義務はないと主張します。場とは何か、取引とはどこまでのプロセスのことなのかは説明していません。こんなことを言われたら、商取引は何も成立しません。凄いことを言い出すものだと唖然としたものですが、メディアも他の証券会社も何ら反応しませんでした。理由は理解も想像もできません。ただ、この理屈が通るとなるとネット仲介の取引は、全く信用できないということになります。証券マンと酒の肴にこの話が出ると「あまりにアホラシイ主張。単なる訴訟戦術なのだろうが、これでは、全くの自己否定だ。」ということでした。

A     取引所約款(大蔵省支配下にある時代に東証が決めて会員証券が同意した。)では、取引所に違法か重大な過失がなければ損害賠償しないという決まりがあると言います。定款に書いてあっても社会通念に反する場合は定款自体が無効ですが。東証曰く「取引所システムは合理的に信頼性をもったシステムであり」「通常の取引は正常に処理し続けており、ジェイコム株誤発注の際には、新規上場に伴うみなし処理を始めとした幾つもの特殊条件が重なったものであり、予見可能性はなかった。」として重過失を否定しています。頻繁にトラブルが表面化している取引所システムの信頼性が合理的範囲かどうかは、東証と一般投資家や証券会社の間では大分認識が異なるようです。ましてや、社会の重要インフラとされる取引所システムなのですが。経済産業省などではそう認識していますが、東証にはその意識はないようです。一般事業会社の障害件数やバグ件数と比較して、信頼性が高いと言っています。また、特殊条件が重なったといっても、どれも東証が自分で決めた処理ルールであり、その結果が予見できないとは理解不能な言い分です。

B     開発は富士通に委託したものであり、プログラムのアルゴリズム不具合に関して東証に責任はない。業務要件も「現行の通り」と明確に定義しており、何度も稼働延期して、十分な検証の上で稼働させたので発注者としての責任は全うしている・・・としています。といって、それを証明する記録は存在しないとの理由で提示されていません。文書が整備されていない基幹システムがあることを、筆者は初めて知りました。

争点は、東証に重大な過失があるか否かであり、取消処理ができなかったバグがどうして組み込まれたのか、それを発見修正できなかったのは何故かということになりました。

裁判が2年を超えるほど長引いたのはなぜでしょう。

@     公的機関である取引所とその会員である証券会社という、極めて閉鎖的な世界での出来事であり、特殊なルール、用語が頻出する。その理解だけでも大変であり、慣習的な取引ルールもあるので、一般の商取引と同一に論じられない面がある。

A     システム不具合の原因確認というポイントに対して、法曹界にはITの技術面を理解する人が希少である。この裁判でも裁判官は、技術面を重視しませんでした。東証も前述のようにシステムに関する記録を殆ど出しませんでした。理由は機密とか存在しないとのことです。もっとも民事訴訟の場合、証明責任は原告にあり、被告側は否定していれば良いという法廷戦術もあるのでしょうが。それにしても、大事な記録が存在しない。単純なシステムとはいえ、良く運営していると感心します。開発中の次期システムでは改善されるでしょうか。現行と同じという業務要件定義では繰り返しになりますが。

B     更に、ITには確立した学説や理論がなく、唯一無二の判断基準がない。プログラムにある程度のバグが残るのは仕方ないとする判例はすでにあるが、そのバグを最少化しトラブル時のBCPを用意するなどに関する要求水準に定まったものがない。次期株式売買システムでは、会員との間でSLAを結ぶべきでしょう。

来年2月の判決が最終決着となるかは不明ですが、IT関係者はシステム開発の発注者責任をどこまで認定するか、東証敗訴の場合、東証は富士通に損害賠償請求するかに関心を持っています。金融関係のメディアは、この朝日新聞記事にもあるように、今期50億円くらいしか利益の出ない東証が最大400億以上も賠償して来年に上場できるのか、そもそも払えるのかに興味があるようです。

我々は、システムが外注か内製かに関係なく、情報サービスを提供する者の利用者に対する責任がどうなるか、システムを外部委託する場合の委託者責任の範囲はどこまでかに注目すべきでしょう。この裁判が、ITに係る仕事に大きな影響を与えることは間違いありません。また、判決を受けて東証が、典型的官僚主義から、開かれた顧客志向の組織に変わることを願います。さもなければ、株式上場などどうでも良いことです。それとIT経験者で裁判官や弁護士になる人が増えて欲しいものです。これまでのIT関連訴訟は、発注者と受託者の支払いを巡るものばかりでした。これからは、情報サービス提供に係る訴訟が増えることでしょう。つまり、金融機関の情報システム・サービスに関連して顧客から訴えられるケースです。裁判官にシステムの作り方、プロジェクト管理、運用管理の方法、使用技術などに関する基礎知識がなければ、正確な判断はできません。