民営郵貯の新規業務(個人ローンへの参入意向)



日経新聞平成18年4月26日号の記事です。民営化の企画準備会社である日本郵政が作成中の承継計画原案を紹介しています。預入上限額の1千万円は変更しませんが、直営店を200から250出店し、個人ローンやクレジット・カード事業に参入したいということです。記事の論調は、三大メガを合わせたのと同規模の郵貯が参入すれば、民業を圧迫することになるというお馴染みの書き方です。筆者も1年前なら同様に考えたかもしれません。

郵貯の現状と民営化基本計画を良く見て、民間銀行との競合を具体的に考えますと、郵貯銀行はガンジガラメの新規参入銀行で、何とも気の毒になります。これでどうやって事業をしろと言うでしょう。実際、西川社長はそう言っていますが。想定されるビジネス・モデルを、多くの調査機関が評価していますが、どれも数年で厳しい状況になるという結論です。日経記者や銀行協会が言うように、民間が既にやっていることに参入するのは、民業圧迫なので許されない・・というのであれば、手の打ちようがありません。年に一兆円もかかる経費と5万人以上の要員を抱えて、預貯金だけ集めて国債で運用しろというのでしょうか?預貯金専門銀行化の考えもありますが、運用の保証がありません。融資市場が拡大するのであればまだしも、これからは縮小するだけです。死にもの狂いのリストラしか道がありません。ところが、リストラですら制度的に道が閉ざされています。座して死ねというのであれば、最終損失は預金保険経由で国民負担ですので、その旨を公にすべきです。それとも、民間銀行が思いつかないほど斬新なビジネスを考え出せということなのでしょうか?

といって、筆者は民営化しない方が良いとも、当初から民間銀行と同じ条件(今の計画では負担義務だけは同じですが、業務内容等は制約だらけです。つまり、同一条件ではありません。)にすべきだとも考えません。本音は、「摩擦を起こさないで、郵貯が生き残り発展する方法がわからない」ということです。規模が大きいのが理由で、これほどの制約があるのなら、分割した方が郵貯にとって良いでしょう。郵貯銀行が1万2千人の社員と直営店、通常貯金50兆円だけでビジネスするのなら、まだ簡単だと思います。しかし、実態は、4万7千の郵便局を食わせ続ける必要があります。マスコミは、郵貯銀行関連の拠点数、職員数、資産規模を正確に区分して報道していません。規模の脅威を煽りますが、収支が赤になった時に規模が大きいことの恐ろしさを知らないのでしょう。あっという間に失血死します。

昨年6月の国会で政府は、分社化時点では貯金事業以外は認めないものの、10年後の完全民営化までに、証券化商品への投資、協調融資、貯金担保ローン、住宅ローンなど個人ローンを順次解禁する方針を打ち出していました。どれも、巨大組織を潤わすほどの市場規模はありません。ましてや民間銀行への影響を見ながらというのですから、最初から儲けてはいけないという民営化です。

制度的にガンジガラメと言いました。その中で事業計画を立てているのは、メガバンク出身者やコンサル、役所の人達です。地域金融やドブ板営業をしらない人達が、事業計画を作ります。それを役人や評論家という経営を知らない人が、審査して制約を加えます。その結果を受けて、公社が具体策に展開します。更に、4つの会社に振られて、再々再度、行動計画作りが行なわれます。最後にノルマのような形で現場に落とされます。現場の人間は堪りません。筆者も多段階の事業計画作成は何度か経験がありますが、夢も何もありません。

マスコミ諸氏の関心は、郵貯銀行の銀行システム選定にあります。日立が勝つか、IBMが勝つか?郵貯ビジネスを失ったらNTTデータはどうなるか?です。洗濯機や車を買うのとは違うと、いくら言っても聞く耳がありません。預金と為替くらいなら、他社システムを移植するより新規に作った方が余程早いでしょう。我田引水コンサルタントは、オープン分散のパッケージ採用を唱えるでしょうが、郵貯銀行で使えるものはありません。やがて必要となる全銀接続は、各社ともにパッケージがありますので、更に簡単です。それでは、マスコミは面白くないようです。

どうも全ての議論が、矮小化された土俵での椅子取りゲームになっているようです。一度、金融ビジネスをリセットして、地域金融はいかにあるべきか。そこでの地域金融機関のあるべき姿を描いた方が建設的だろうと思います。例えば、郵貯銀行は、一社のままで良いから、都道府県単位で事業計画を立てる。それに地域金融機関も参加して、市場の定義や顧客サービスのあり方を考えなおし、役割分担する。その方が民間銀行にも、郵貯にも、顧客にも良い結果が出ると思います。失敗する県も出るでしょうが、成功事例に学ぶことはできます。抽象的な経営戦略論や競合論、民業圧迫論など宗教論争からは、何も生まれないことは確かです。実現可能性が皆無なのは承知していますが、今は、余りに無駄で悲惨な努力が行なわれているように思えます。