知識ベース・システム(みずほCBが地銀と営業情報を共有)


日経金融平成17年4月5日号の記事です。見出しを見て「また、下らない投げ込み記事か?」と思ったのですが、読んでみるとIT利用の正しい理解と実務的な考えに基づいたシステムではないかと、嬉しくなるニュースでした。目論見通りに成功するかどうかは判りませんが、こうした試みを続けることが蓄積型技術(DBやKB)と拡散型技術(ネットワーク)の融合を推進することになると思います。

概要はこうです。みずほCBの行員が個別にHPを作り、自己紹介をしながら、自分のノウハウや経験を掲示板で公開します。それを行内だけでなく、提携する地銀の行員にも公開します。ワンウェイでなく、実務情報をツーウェイで情報交換しようとする試みです。情報を提供する行員には、アクセス数や情報利用者の評価に基づき人事考課に反映されます。ITベンダー言うところの「コラボによる知識ベース・システム(KBS)」の試みです。最近流行のブログを使っているようではないですが、それはなんとでも改善できることです。

筆者が以前勤務したIBMでは、ナレッジ・マネジメントを大変重視していました。10年ほど前には、米国でKBSの第一人者といわれた学者をハンティングして、IBMコンサル・グループのKBS責任者にしました。その指導のもと、数々の試みが行われ、筆者も数回話を聞いたり議論したことがあります。情報活用理論の著名学者の論文も一通り読み、話を聞きましたが、どうも納得がいきません。余りにテクノロジ・ドリブンというかプロダクト・アウトなのです。理屈では、実現できたら知識産業社会の革命だとは思うのですが、誰がそれを実行するのか?そのインセンティブは何なのか?が見えなかったのです。実践者がいなければ何の進展も得られません。事実、様々な試行錯誤は、単なるマスコミ経由の宣伝効果でしかありませんでした。

IBMの試みは、最も先進的かつ実務的と言えるものでした。みずほCBのように情報提供者の評価にも直結しましたし、コンサルのような資格取得と更新を必要とするプロフェッショナルの場合は資格認定の前提条件でした。それでも実体は形式的なものでした。情報提供者にとっては、単なる義務であり、社会的認知や自己実現といった欲求を充たすものではなかったのです。その点、他行にも公開するという方法は提供者の社会的認知の機会を増やすので、インセンティブになるでしょう。閉鎖的かつ全体主義的な銀行文化からは出てこない試みです。失敗確率は恐らく高いでしょうが、一回限りで終わらせずに、学習を続けて欲しいものです。それが真の差別化競争力になるからです。

筆者は、1967〜1971年の学生時代、行動科学という分野を専攻しました。理由は簡単で、ゼミに入試がなかったことと、友人が入ったからです。学問として認知されていなかったことにも興味を持ちました。とは言え、ほぼ全期間は学園紛争で授業は殆どなく、卒論に必要な資料もありませんでした。どういう訳かドラッカーが卒論テーマとなりました。以来、ドラッカーと歴史文化整理論としての司馬遼太郎が私の思考におけるフレームとなっています。両先達に共通することは、個人の日常的経験・利害・価値観を基盤として長期かつ高所からの洞察であります。テクノロジーの普及も全く同じです。

筆者は、我が身をさておいて、評論家のことを「山の手線のアナウンス」と悪口を言います。ある駅名を唱えていれば、いつかは、その駅に着きます。その時に「ほら、私が前から言っていた通りだろう。」と言えば済むのです。実務の現場にいる我々にとって重要なのはタイミングです。ところが、銀行の産業文化はタイミングと前提条件が確定しないと動くことを許しません。試行錯誤(製造業でいう実験)すらも、多くは二度と実行許可が下りない原因となります。こうした文化によって、いかに多くの事業機会を捨て、有為な人材を失い、国民経済の発展を阻害したかは、研究テーマになる価値があると思います。みずほCBの試みが全行的理解を得た上とは思いませんが、こうしたアイディアを起案した人と、それを認可した経営幹部が存在することを頼もしく感じます。

ITベンダーの皆さんは、銀行のIT利用における考え方が、ビジネスソリューションを目指してディープになってきていることを認識すべきでしょう。「知識ベースが今後の戦略的システムで、弊社の製品は全ての問題を解決します・・・」などという浮薄な売り文句は、顧客の失望と軽蔑を買うだけの時代に入ってきました。