◇ 金融サービス業の危機とチャンス ◇


この論文は、日経コンピュータ (2008年3月24日付け創刊700号記念特集) への寄稿文の元原稿を追加修正したものです。何故、ドラッカー特集なのかは、同特集をご覧いただくとして、筆者が寄稿を依頼されたのは、ドラッカー思想を学びだして約40年になること、ドラッカーの考えを日本の金融 I Tに適用したらどうなるかと発言することが多いからだと思っています。

元原稿は、以下のように相当な文字数で書きなぐってしまいましたが、編集者が再編、校正してくれて、読み易く、判り易くなりました。
何社かの金融機関企画部門や I T企画の方々が、この寄稿文で読書会をなさったそうです。そして、元原稿が欲しいとの要望がありました。
そのままでは、少し拙い箇所もあり、それを修正しながら、この半年の動きを若干反映した上で公表させていただきます。                      
                                       平成20年10月10日   島田直貴


ドラッカーは、著書「ネクスト・ソサエティ」第V部でテーマ「金融サービス業の危機とチャンス」として第3章まるまるを割いている。そして余り好意的には書いていない。イノベーションに遅れた代表的産業のように言っている。このことはドラッカーの金融ビジネスに対する期待と現実とのギャップが言わせているのだろうが、自身が金融業に従事した時の体験が、あまり心地良いものではなかったからかもしれない。それにしても、他産業ではなく、金融業を対象としたのは何故だろうか?

第1に、ドラッカーは資本主義の本質には懐疑的である。民主主義、自由主義を信奉しているが、経済に関しては替わる現実的手段がないとして資本主義をセカンドベストと考えているようだ。株式会社制度を20世紀における最大の発明、イノベーションと評しているが、株式会社が資本主義となり、市場原理や財務指標が目的化される結果、社会の調和や人間性を阻害することを危惧しているのだろう。中でも金融業は、資本主義、市場主義、財務主義の集約であり、虚業ともいえる通貨や各種指標で実体経済を左右することに強い懸念を抱いているのだろう。

第2に経済を始めとしたグローバル化では、クロス・ボーダーの経済価値移転において金融機能は不可欠である。また、知識労働者によるプロフェショナル・サービス化やインターネットを利用したeコマースには、社会の発展を促進すると期待している。金融業に携わる専門家が自己の知見とITを活用することでサービス産業化し、大きなイノベーションを起こすことも期待しているようだ。

第3に、経済の変化は社会の変化に追随する。社会の変化で最も大きなものは、少子高齢化であり、特に少子化が大きな影響を与えるとしている。並行して産業構造では、サービス産業が重みを増し、そこでは知的労働者という生産手段を個人的に所有する人々が増え、雇用と労働形態が多様化すると言う。ドラッカーは、この章の表題を金融業とはしていない。金融サービス業と言っている。金融業のサービス産業化を当り前の前提としている。金融サービス業とは、顧客サービス第一などという浮薄な標語ではなく、マネーという情報を扱う知的労働者による高度に洗練された知識産業という位置付けのようだ。ここに、ドラッカーの金融に対する期待があり、焦燥があるのだろう。

本文は1999年にエコノミストで発表されている。10年も前のことであるが、今日でもそのまま読める内容である。社会は急速に変わっているようで変わっていないことを実感する。ドラッカーは、「変化に対する対応のうまさでは成功は望めない。個々の変化に振り回されてはならない。大きな流れそのものを機会としなければならない。」と繰返す。この考えは、40年以上前から強調されており、多くの人々の支持と共感を得る理由となっている。

以下に、ドラッカーが指摘する過去・現在の課題と将来に向けた期待を紹介しながら、金融サービス業が、ITを使ったイノベーションを通じて、社会における正統性を確立する方法がないか考えてみたい。

 

1.   業界構造が水平分散化、サービス・ビジネス化する中で

サービス産業化は、多くの業種で見られる流れである。現金や伝票を除けば、実物を扱わない金融業は、昔から情報産業、装置産業と称されてきた。しかし、巨大な機器装置による定型的大量処理をイメージさせる装置産業化で、金融機関は顧客価値を増しつつ、自らの収益性を改善できたであろうか?

例えば、給与振込やATMが普及する以前、我々は給料日に銀行から1ヵ月の生活費を引き出した。今では、必要額だけを何回かに分けて引き出している。取引の小口化は、個人顧客の利便性向上の結果でもあるが、それが国民経済的に変革をもたらしたのだろうか?少なくとも銀行にとっては、負担が増したことは間違いない。3年前に金融庁が行なった調査によれば、顧客一人当りIT関連支出は、大手銀行が年間5300円で信金・信組が1600円だった。ITの適用業務範囲に違いがあるので、一律に比較できないが、IT投資に規模のメリットはないのかもしれない。とすれば、装置産業化に向かうのは企業戦略としては正しくないことになる。または、範囲の経済が逆に効いていると考えられなくもない。業務範囲が広いほど、また、その間のシナジーを狙うほど、ITが複雑化して、コストが上がるのかもしれない。ATMに短期集中投資して、規模の利益を確立したセブン銀行と比較すれば、両者の長短が理解しやすい。1社が単独で、広範な事業分野を垂直統合型事業展開できる時代ではなくなったようだ。

欧米では金融ビジネスのアンバンドリングが10年以上前から広まっている。特にプロ投資家向けの証券市場では、その傾向が顕著である。販売、契約、口座管理、資産管理、税務、市場情報の提供、市場情報の分析、投資顧問、ファンド組成、投資アルゴリズムの提供、機能別売買市場、清算処理、決済などなどである。アンバンドリングは、顧客のリテラシーが上がれば、当然に起きる現象である。IT業界が理解しやすい先例だろう。かつてIBMを筆頭に、IT企業はハードウェア、OS、ミドルウェア、アプリケーションなど全てを自社で研究開発、製造、販売、保守してきた。それがウィンテル出現とともに分離され、各製品レイヤー、サービス・レイヤーの中で新たな競争が発生し、機能向上と価格低下を加速した。まさに競争と協調の成果といえよう。その点、金融ビジネスは長年、垂直統合型のビジネス・モデルが規模を問わずに定着し、誰も疑問に思わない。規制下にある産業の宿命である。

しかし、わが国でも序々にではあるが、産業構造としての水平分散化を可能とする制度変更が行なわれた。特に、一昨年の銀行法改正による銀行代理店制度の大巾変更は、金融ビジネスにおける製販分離本格化を意味する。銀行業の免許がなくても、一定の資格要件を満たせば一般事業会社が銀行の商品などを販売できるのである。保険、証券では、それ以前にほぼ自由化されている。代理店の立場では、複数金融機関から販売委託を受ければ、顧客に適した商品選択や組合せが可能となる。そこに、運用相談や税務処理など付随するサービスを有料で提供する機会が生まれる。個々のサービスや商品で新たな競争が発生し、機能改善、価格競争が発生する筈だ。留意すべきは、アンバンドリングが進めば、顧客にとって資産管理が複雑化、困難化するので、複数商品・サービスのリバンドリングというニーズが出てくることだ。しかし、それは垂直統合型の金融機関では対応できまい。一社で全てに世界トップクラスの機能、価格を実現することは不可能だからである。総合的ということは、何も誇るものがないことと同義のことが多い。規模のメリットと範囲のメリットの最適な組合わせは、総合金融機関では実現できない。恐らく、数多くの機能別に特化した専門企業が出現し、商品をリバンドルする販売専門会社、顧客資産をアグリゲートする信託会社などが顧客接点を担うことになろう。機能別のサービス提供者は、知的財産権(商品特許や信用データベースなど)を活用する商品研究開発(会社か個人)、知識サービス(投資顧問、運用管理、信託管理,税務など)を提供するプロフェッショナル・サービス、資産管理、後方集中事務処理などで機能高度化と規模メリットを実現したBPOサービス、決済・清算業務、課金サービス、セキュリティなどのプラットフォーム・サービスなどに分類されるだろう。個々の分野では、競争を通じて様々な改善と革新が行なわれるに違いないが、時間とともに寡占化の進む分野もあろう。

しかし、ドラッカーは、「過去30年の金融ビジネスで本物のイノベーションはなかった。科学的と称するまがいもののデリバティブだけである。」と言っている。理由は顧客のためのものではないからと言うのである。金融ビジネスで新たな収益分野が見つからないので、自己勘定取引に頼らざるをえなくなり、そのリスク管理に出てきただけだとする。また、「それに頼りだすと取引ではなくギャンブルとなり、時に大きな損を出す。その都度、経営者は知らなかった、内部規定違反だ、と釈明する。しかし、これほど頻繁に起こるものを例外的事件として扱うことはできない。」とも言っている。一昨年来のサブプライム騒動を見ると、ドラッカーの言う通りだと納得できる。アンバンドリングが進むと、リスク全体の管理が難しくなる。リスク管理が本業の金融機関自身が、見えないリスクに晒されるのである。そこには、市場に任せきることはできないというソロスの主張と一致するものがある。

とはいえ、時代の流れは変わるまい。機能特化、専門化・高度化、大量高速処理、STP化(ストレート・スル−・プロセッシング)は止まらない。それを個々の変化と捉えずに、社会の価値連鎖を再編し、より多くの顧客の利益に結びつけることが必要なのだろう。しかし、それを追究する際には、民族国家インフラの一つである金融機関に課せられる規制が阻害要因となる。金融業は保護される立場であり、同時に、顧客保護を理由に規制拘束される。他業禁止規程が廃止されることはあるまい。ドラッカー流イノベーションを金融の中から起こすことは無理ということだ。むしろ他の産業が、水平分散化した金融機能を使って、社会的変革を起こす可能性が高い。利益極大を求める金融機関は、金融免許を返上するか、一般事業持株会社を設立して、その下でコングロマリット化することになるだろう。しかし、金融コングロマリットで持続的成功を収めた企業は過去にない。

 

2.市場型化と電子ネットワーク化する中で

金融業は資金の出し手と受け手をマッチングする仲介業である。マッチングの結果として一部で発生する支払不能コスト(信用リスク、決済リスク)を金融機関が負担すれば間接金融であり、資金出し手が負担すれば直接金融である。信用リスク、決済リスクを管理するためには、受信者の信用状態、財務状態を把握し、判定する必要がある。ところが、情報化、ネットワーク化によって信用情報、信用判定知識などに関する間接金融機関の優位性が薄らげば、直接金融の方がコスト、スピードに勝ることになる。それが、直接金融化が進むと考えられる理由である。わが国では、まだ個々人がリスクを許容し、管理できるだけの金融リテラシーが進んでいないので、証券市場で発行された有価証券をファンドなどの形で投資家に仲介して市場型化と称する中途半端な金融政策が進められている。しかし、ネットワークを利用した、より直接金融的なサービスが出現することは間違いない。

例えば、米英で拡大しているピアツーピアの個人融資がある。少額の融資を受けたい人と貸したい人をネット・オークションでマッチングさせるビジネスである。英国で発祥したZopaなどが有名である。貸借の金額は5万円程度であるが、借り手は、借金の目的などを付記して申しこむ。Zopaは、借り手の格付けと融資条件を判定して該当するリスク・レベル別貸借市場で入札にかける。貸し手は、事前に5百万円程度の融資額上限を設定しておき、公表された入札情報を基に、当該市場の規定枠の中で金利と融資額をオファーする。仮に返済不能の場合、Zopaが回収業務を行なうが、実際の債務不履行率は0.05%以下だという。融資を本業とする銀行の個人ローン不良債権率に比べると、数十分の一である。それでありながら、借り手は簡単に低金利で借金でき、貸し手は預金よりも高い利回りで自分の共鳴できる資金使途に融資できる。

このような仕組みは、個人だけではなく公共機関や企業向けにも可能である。無担保融資でも担保融資でも良いだろう。担保は不動産でも動産でも良い。担保管理や債権回収などの付随サービスが必要となる。融資に限らず社債やCPでも良いだろう。いずれにせよ、格付けサービス、回収代行サービスなども必要となる。紛争が起きれば、法廷外紛争解決機関も必要だろう。これらが、全てネットワーク上で完結できたらどうか。ネットワーク上では、紙書類を電子化するだけでなく、各種DB、BI、TV会議、映像情報などが行き交うだろう。通信の高速化だけでなく、通信プロトコルの標準化、ビジネス・プロセスの標準化が必要である。NGNやSaaSに期待するところ大である。

決済でも同様の動きとなろう。現在は、現預金通貨によって精算している。処理途中で金融機関が決済不能リスクを負うことから、決済手数料が高めである。特に3万円を境とするだけの手数料体系は、単に印紙税の問題であるが、3万円も3億円も同じ手数料ということが合理的とは思えない。千円を送るのに2百円を取られるのも納得できまい。筆者は20年以上前に、内国為替で送金するよりも、宅配便で現金を送った方が、早くて安くて便利だと主張した。何故なら2Kgの小荷物には1万円札が2千枚入り、当時の宅配料は600円(振替が600円)で翌日配達、200円追加すれば集荷に来てくれる。先方に届けば配達通知もくれる。銀行窓口で長々と待たされ、先方に到着したかも判らない銀行振込よりサービス・レベルも数段上である。回線上を数十バイト飛ばすだけのサービスが、数多くの人手やトラックを動員して荷物を遠隔地に運ぶより非効率なことに、銀行マンが疑問も不安も感じないことが不思議で仕方なかった。これからの決済システムは、銀行間決済、企業用大口決済、個人を中心とした小口決済に分離する必要がある。さもないと、リスク管理、付随サービス、手数料体系などが最大公約数的なものとなり、機能、コストともに非効率の極みとなる。それでは経済活動の血管である決済システムが動脈硬化を起こしてしまう。

電子マネーの普及は想像を超えるものがある。規格標準がないとか、現金通貨管理が不能化するとか、通貨匿名性がなくなってプライバシー問題が出てくるとか、発行者が事業継続不能になった場合の利用者保護などにつき様々な意見がある。しかし、電子マネーという表現に惑わされているようだ。硬貨貨幣より便利だから電子マネーを使うというのは二義的な動機である。大半の利用者は、ポイント優遇サービスが目当てだろう。金融機関以外の企業が、債権債務の精算に電子マネーを発行したとしても、それは当該企業と顧客との決済であり、最終的には現金か預金による精算は残る。銀行にとっては顧客資金の滞留メリットと決済ビジネスでの支配力が落ちるだけである。後者においては、金融機関のジレンマがある。金融機関には顧客の経済活動を直接支援する機能がない。決済は経済活動に従うものである。であれば、電子マネー発行企業と協業するしかない。従来は、全銀行の横並びが前提であった。結論がまとまらない、決定実施が遅いことが致命的だった。金融と一般事業を組み合わせた新商品や新サービス開発において、業界協調を待っていたのではビジネスにならない。しかし、銀行数は集約された。三大メガバンクとゆうちょ銀行のうち2社と組めば、国民の大半をカバーできる。金融機能を利用した一般事業会社の新サービスは増加するだろう。金融機関としては、既存の顧客基盤に頼って免許で許された範囲で機能強化を図るのか、または、自ら革新的サービスを考案して一般事業会社と協業するのか。何もしない選択肢もあるが、恐らく衰弱死への道であろう。ドラッカーは言う。「変化が起きるのはノンカスタマーの世界である。プロフィットは外からしかやってこない。」

 

3.グローバル・ビジネス化にはサービス・プラットフォームが必要

グルーバル化が今後も進むことに異論はないだろう。しかし、わが国の金融機関はバブル崩壊後、極端に海外から撤退してしまった。最近、アジア市場に再進出しているが、グローバル化というよりは越境ビジネスといったところであろうか。

わが国には1500兆円の個人金融資産があることが強調される。一方で経済は成熟化して成長性に乏しい状態が続いている。国内には、この金融資産を有効活用する場が不足している。仮に1500兆円を海外で運用して利回り5%を実現すれば、500兆円のGDPは15%成長する。高齢化少子化による労働人口減少は、一人当りGDPも引下げる。金融資産に働いてもらうしかないことは自明である。今であれば、海外に資金需要はある。ところが、外資系金融機関による円キャリなど低コスト資金調達の場としてしか機能していない。ドラッカーは、「伝統的金融サービス業に残された市場は日本だけだ。但し、そこでは高収益は望めない。差別化できないからである。」と言っている。しかし、日本で調達して、需要のある国で運用すれば高収益になる。昨今、外資系大手が相次いで日本のプライベート・バンキング市場に進出している。まだ、低コスト資金調達が可能で、かつ富裕層からの手数料ビジネスも期待できるとの判断であろう。

個人金融資産の25%以上は年金や生命保険で固定的な資産である。残りの大半は、高齢者と富裕層が保有している。また、貯蓄率の高いのは20代と60代以上である。個人から法人や公共へという伝統的マネーフローは完全に変わった。今日、国内で資金需要があるのは、公共と個人壮年層である。そして、高率の金利を支払うのは、債務返済に問題を抱える層である。外資系は、見事にこれらの層を狙っている。その点、全顧客を平等に扱うことを前提とした、日本の金融機関には成長の道が見つからない。消費者信用に思いきって進出すれば、規制当局が利用者保護を名目として規制を強化する。わが国の金融における規制コストは、全経費の20%に迫るのではないか?こう考えると、営利事業としての金融業に魅力はなくなる。国民個々から見れば、代替する機能やサービスがあれば、規制された金融機関がなくなっても構わないとも言えるが。

昨年施行された金融商品取引法は、商品規制を緩和しながらも販売プロセス規制を大巾に強化した。期待される透明性と公正性を確保実現したとして、海外の投資家が日本に投資するだろうか。規制対象外の金融プロだけが、クリームスキミングするだけではないか?日本経済の構造が大きく変わらない限り、余った金融資産を運用できる場所は海外に求めざるをえない。金融機関は、グローバルのマネーフローを見ながら、ポートフォリオを柔軟に組み、リスク管理するしかない。成長を期待されるアジアを重点地域とするにしても、グローバル・サービス戦略においては、点や線ではなく面での展開が必須条件である。サービス産業化が著しいIT産業のグローバル化では、面でみたグローバルな資源配置が勝敗を左右していることを肝に銘ずるべきである。個別最適の世界ではない。その点、わが国大手IT企業の海外戦略は、現地の小規模企業の買収といった単発的なものばかりである。わが国金融機関もグローバル展開というよりは、海外への販売拠点設置の域から脱していない。最速の解決策は、海外金融機関の傘下に入るか、巨費を投じて買収するしかあるまい。(リーマン危機以降の欧米大手金融機関への出資要請は、資本力に加えて人材活用力のある金融機関には飛躍の時期となった。)または、本社を海外に脱出させるしかない。

ドラッカーは言う。「変動相場制は膨大なバーチャル通貨を生み出した。それは通貨取引によって生み出される。いかなる機能も持たない通貨であり、いかなる価値ももたらさない。しかし、その力は本物である。」「国際貿易論は、貿易に投資が続くことを当然としてきた。しかし、今日では投資に貿易が続いている。中でも、金融、コンサル、会計、保険、旅行などのサービス貿易が増えている。そして旅行業を除けば、レートとは関係ない。」つまり、投資を先行させ、次にサービス貿易を続かせるべきだというのである。その通りだとすれば、日本にとって難しい話ではない。まず余った資金で投資し、銀行、証券、保険、会計、コンサルなどが組んで、海外進出すれば良いことになる。

サービス業はプロフェショナル・ビジネスである。顧客が対価を払う無形の価値提供である。必要な知見と情報を持った複数の専門家がチームで活動する。そこでは、個人の知識、能力だけでなく、それらが有効に活用され成長するための組織や仕組が必要である。その仕組に合わせて、情報ネットワークやDB、ナレッジ・システムなども必要となる。これら全てを備えたプラットフォームがサービス・ビジネスの成否を決めるだろう。プラットフォームの組成力を持つ金融機関はわが国にもある。グローバル展開能力を持つ金融グループ数社をナショナルフラッグ・プレイヤーとして、それ以外の金融機関や産業界、個人投資家がサポートするような仕組みが欲しいものである。海外で得られる経験や知識が、やがて国内で活用できるだろう。

 

4.社会的正統性を担保するビジネス・モデルがあるか。

ドラッカーは著書の中で、社会的正統性が重要というだけで、その意味定義について詳しく説明していない。価値、使命、ビジョンの確立とだけ言う。ここでは、単純に社会的存在意義と捉えて、金融サービスのビジネス・モデルを考えてみたい。

筆者は国内出張をすると、タクシー運転手や居酒屋主人に地元地方銀行への印象を聞くことにしている。一度として、好意的な回答を得たことがない。それでいて、「それなら、別の銀行に替えたら?」と問うと「そんなことをしたら商売が続けられない。」という返事が戻ってくる。これは真に社会的存在意義の証明ではないか。顧客評価の低さは、金融機関の政策の拙さから来るのか、顧客の身勝手な期待がいけないのかはわからない。金融機関にこのことを問うと「遠く昔から評判の良い金貸しはいない。良く思われたければ、金貸しを止めて預金集めだけすれば良い。」という返事がくる。顧客が文句を言いながら離反しないのは、代替手段がないからだとも思える。ただ、同じ金貸しであっても、消費者信用や商工ローンの会社を見ると、多くの顧客は喜んでおり、満足している。だからこそ、金融機関より数段高い金利でも納得して支払う顧客が多いのだろう。しかし、この市場は、一部の不良な業者と利用者のために過重な規制を受け、生死の境目をさまよっている。社会的正統性とは何か、保護すべき対象者の範囲はどこまでなのかを問いなおすべきである。

サービス・ビジネスにおける顧客満足は、顧客の抱く期待レベルと実際に感じたレベル間のギャップで決まる。人により、その時により変化するので、一律に評価できない。日本では抽象的に消費者、利用者、国民、市民という表現で、即座に全員が対象となってしまう。結果として、最も弱い或いは自助努力しない層の利便を図ることが営利企業に求められる。そのコストは優良顧客が負担する。そのような市場が、自由主義、資本主義経済で存続できるのだろうか。優良顧客は、当然海外の有利な市場に逃避する。そして国内市場はスラム化する。それを防ぐ為には、金融を鎖国状態とし、大手金融機関が低コスト資金を使って海外で収益をあげて回収することである。しかし、それは倭寇と同じと非難され、国際市場で差別を受けることとなる。金融立国には遠い話である。グローバル・ビジネス展開にとって規制は阻害要因でしかない。

画一的な品質基準のないサービス産業に一律的規制は致命的である。利用者保護を一律に適用すれば、リテール・ビジネスは成立しない。そのためか定かではないが、国内リテール・バンキングで収益を確保するのは至難である。政治、行政、メディアは、それを承知で無視し、金融機関に負担を求める。彼らの主要顧客と金融機関の主要顧客が一致しないのだから仕方ないのだろう。政治、行政、メディアに勝つには、自社の顧客を味方にするしかない。日本では、株主は助けにならない。収益と成長を求めるのであれば、規制された分野から撤退するか、または、特定の期待レベルと合理的な評価基準を持つ顧客層だけを対象とするのである。会員制の銀行があっても良い。それが預金取扱い免許に抵触するのであれば、その免許を返せば良い。今日では、資金調達の方法は預金以外にも豊富にあり、低コストである。社会的正統性は、世間の風向き次第で変わる制度や規制に従うことからは獲得できない。それらは、単に行政リスクの範疇にある。社会的存在意義と考えるならば、本業そのもので顧客価値を高めることしかない。

金融機関の本業を通じた社会貢献としては、マイクロ・ファイナンスが一番に思い浮かぶだろう。融資に限らず保険の分野でも注目されている。まず断っておくが、マイクロ・ファイナンスは決して慈善事業でも寄付行為でもない、暴利と浮利を追わないだけである。弱者救済というよりは弱者との共生というところだろうか。わが国でも、古くは無尽という仕組みがあった。そこでは対面関係を通じた定性情報によって信用を個人から分離し、プールすることで資金を融資或いは譲渡するのだが、金融業の原点と言えよう。金融自由化前の信用金庫がこれに近い経営理念だった。それが、自由化の旗の下で業際や業態間の垣根がなくなり、透明性と適正なガバナンスという標語の下に、自己資本比率と収益性が全金融機関の経営目標となったのが今日である。こうした制度変更は、金融機関の健全性と将来性の為に必要なこととされたが、サブプライム危機で、こうした考えが万全でないことが露呈してしまった。加えて、これまでの制度改革の過程で社会的存在意義を見なおし続ける姿勢が、金融機関だけでなく企業や国民に失せてしまったのかもしれない。信用創造・仲介機能、金融リスク管理機能をコア・コンピテンシーとしながら、顧客ニーズを深堀し創造するしかあるまい。国内市場が対象であれば顧客をイメージできるので、社会的存在意義を定義するのは容易である。しかし、グローバル展開となると難しい。単なる利益指向、成長指向では経営が持続しないことは、サブプライムに端を発した業界再編で証明済みである。やはり、顧客は誰かを決めることから始めるしかない。

 

5.ITは、ビジネス・モデル変革の道具になるか?

ITを利用することで、ロングテールや広域低密度の小口取引を採算化できる可能性が出てくることは知られている。多くのマイクロ・ファイナンスを展開したとしても、悪質な顧客を排除できれば、優良顧客に不当なコストを負担させずに済むだろう。ITアーキテクチャはビジネス・モデルとの整合性が重要である。例えば、マイクロ・ファイナンスのフロント業務は、現場主義の観点からして、少なくともプロセス機能を分散させるという具合である。

わが国金融ITは長く巨艦主義を取ってきた。PCを使えば、簡単にできるような業務も、巨大システムで処理しなければ正当化できないと思いこんでいるようだ。エクセルで作成した法定帳票も数千万円の大型プリンターで印刷した帳票も、プロセスとデータさえ正しければ同じ法的効力があるにも関わらず、大規模センターの大型機で処理することを神聖視している。であるから、事務規程等全てが精査・文書化され、公に認知された定型的画一な業務だけを行なってきた。そこでは、堅確性が追求されるものの、スピード、バージョン、リサイクルなどの概念はない。それでは、変化する顧客価値を増すことができない。顧客の定義、顧客価値の見方を大きく変え、それに適合する技術を使う必要がある。技術の評価方法と使い方そのものを変えなくてはならない。筆者は巨艦主義を汎用機技術として排除するものではない。技術、プロセス、データの最適配置が重要だと考えているだけである。

法人客は、業種定義が曖昧となり、会社形態も多様となっている。その時々の資金使途に応じた金融商品とサービスをアレンジする必要がある。定型的な商品やプッシュ型のサービス提案で手数料を得ようとしても、顧客の方が広く情報を得ている。個人客にしても、資産保有の格差は広がり、生活形態も多様化している。全てが多様化、複雑化しているが、金融機関の単品主義は変わっていない。顧客ニーズが第一というが、抽象的な顧客概念からニーズの違いを発見できることはできない。定型商品を出して、それからカストマイズするよりは、最初からカストマイズ前提の商品設計とプロセスを組むべきであろう。その中から圧倒的に顧客支持を得られる商品が出てくるだろう。顧客に聞いても、見たことのない商品やサービスを教えてくれることはない。それは、プロの仕事である。定型商品のプッシュ販売を支えるためにCRMを構築しても無駄である。CRMは、顧客期待値のモニタリングとカストマイズド商品の管理に使うべきである。

金融機関が、すぐにできることは顧客の代理人になることだろう。新商品や些細なサービスでの差別化は永続が不可能である。模倣が容易だからである。ビジネス・モデルを含めた特許権で優位な地位を占めても、やがては同等或いは代替可能な商品・サービスが出てくる。商品・サービスで差別化できるのは、顧客には単純で使い易いが、提供側には複雑高度な仕組みが必要な分野である。または、スピードで勝つことだ。コモディティ分野で寡占化が進むことは確実である。先に規模のメリットを確立した金融サービス提供者が、機能向上や業務改善を続ければ、追随できる競争者はなくなる。ネット専業で決済に特化した新規参入銀行が苦戦する理由がここにある。決済は裏側に複雑で高度な後方処理が必要である。フロント業務のみをネット処理化しても、全体コストからすれば、既存事業者に勝てない。勝つためには、巨額な投資を短期集中し、全く新しい決済の仕組を作り上げることである。そう考えると、ゆうちょ銀行が、全銀システム加盟により既存銀行の仕組に入ることは、競合金融機関にとって朗報であった。どの金融機関にも機会があり、かつ、安定した分野が顧客接点である。大半の金融機関は、この分野に特化せざるをえない。であれば、商品を顧客に売りつけるのではなく、顧客の為に商品やサービスを仕入れてくる必要がある。それが、ここで言う顧客の代理人になることの意味である。

ITを通じた機能サービスだけでは、真の顧客ロイヤリティは確保できない。人間関係を通じた信頼が顧客ロイヤリティの原点であることは、今後も変わるまい。サービス・ビジネスは信頼ビジネスであり、顧客期待レベルの管理が重要である。顧客期待を把握し、顧客価値を向上させる方策を示し、必要な商品、サービス、専門的アドバイスなどをアレンジする。これは立派なプロフェショナル・サービスであり、有料に値する。その点、現在の資産運用ビジネス戦略は、単に販売手数料収益にシフトしようとするに過ぎない。顧客価値に直結していないことは衆知である。個人に特定したとして、百万人の顧客から月額3千円のアレンジメント・サービス手数料を受領(徴求、徴収ではない。)すれば、月商30億円のサービス・ビジネスとなる。それに成功報酬を加えれば膨大な市場となろう。全人口の半分6千万人となれば、実に年商2兆円以上となる。ビジネス・モデルをうまくデザインすれば、利益率は10%以上であろう。コモディティ・ビジネスの10倍である。

わが国には約6千兆円の金融資産がある。純金融資産で3200兆円である。乱暴な計算ではあるが、ここから利鞘や販売手数料や管理手数料を得るとして1%前後の粗利益で60兆円となる。これが理論的市場規模の最大値である。ところが、その獲得に要する営業経費もおよそ1%であり、手数料率は低下一途なのが現状である。無コストの自己資本で利益を絞り出している状況である。融資市場が拡大する見込みがないことには、利鞘が改善する可能性は低い。そこで投信などの販売手数料ビジネスにシフトしようとするが、それは他業態コストの代替であり、対象の玉に限界がある以上、長期の成長市場でもない。そこに、上記のような2兆円前後の規模で10倍の利益率という新規市場が生まれれば、イノベーションと言えるだろう。一人当り月額3千円以上の顧客価値を提供することが前提条件だけである。個人が通信費や新聞購読に支払う金額を考えれば、決して非現実的な金額ではないが、月額料金や顧客数の妥当性や実現性を論ずるのは後で良い。このような考えでビジネス・モデル再設計を繰返し、よさそうな案は実験してみることだ。これを実行できない理由に、金融業界でITバリューが理解されていないことと、ITガバナンスが確立していないことがある。技術の問題ではない。経営の問題である。

 

― 結び ―

仲介業はネットワーク化進展に伴い衰退すると言われてきた。しかし、実体は卸し業を始めとして情報武装化し、プロセスを改善した企業が、従来以上に活躍している。金融業も基本的に仲介業である。金融仲介業は、資金の受け手、出し手の双方から対価を得られる立場である。情報技術に関する技術力も資金力もある。これを活かさない理由はない。社会の受容性を確認してからと考えていると、変化の流れに乗り遅れる。他産業に侵食されながら、構造不況から抜け出せないままとなろう。ビジネス・モデルの変更は、積み上げでは不可能だ。マクロからミクロに展開しながら、各要素の実現方法を追求することが重要である。過去の経験事例に基づいて、できない理由や実行しない言い訳を捜すことは、容易で心地良いが、時間の無駄であり衰弱死への道である。ドラッカーの口癖であるが変えること、捨てることのできる組織と人が、改善や改革を可能として成長する。どの国でも、金融機関は変えることも捨てることも苦手である。それはIT利用においても顕著に顕れている。禁じ手かも知れないが、全員合意で変革の神風を待つより、テクノロジー・ドリブンで新たなビジネス・モデルを追求する方が早道のようだ。

                                                    以上